肥薩線の歴史
 肥薩線のあゆみ

 明治29年11月に九州鉄道線路が八代まで開通し、その後、渋谷礼氏ら多くの先人たちの努力によって明治42年11月21日に現在の肥薩線(当時は鹿児島本線)が完成しました。当初、八代から鹿児島までの敷設路線の計画は、水俣側を通る海岸線案と人吉・吉松を経由する山手線案がありました。
 今日の肥薩線である山手線案が優先すると決定されたいきさつには、直線的に鹿児島と宮崎両方からの縦貫線であること、国防上、海岸からの艦砲射撃を避けることができること、九州が本州から孤立した場合、自給可能なのは山深い人吉盆地であるといった理由があります。昭和2年に海岸線が開通するまで鹿児島本線として活躍しました。
 肥薩線の工事は、日清戦争や日露戦争の影響で工事は数回にわたり中断され、山と川に阻まれた天険の地であるだけに大変困難な工事でした。特に山頂のため難所であった矢岳トンネル(延長2,096m)の入口には時の逓信大臣山県伊三郎氏の「天険若夷」、出口には鉄道院総裁後藤新平氏の「引重到遠」の額がかかり、当時の難工事を物語っています。
 開通当時の沿線の人々の喜びの様子は、歴史小説の大家で薩摩出身の海音寺潮五郎先生もエッセイの中で綴られています。

   (参考文献:肥薩の汽笛)

 
 肥薩線の歴史
明治36年9月5日 吉松ー隼人間(37.4キロ)開通
明治41年6月1日 八代ー人吉間(51.8キロ)開通
明治42年11月21日 人吉ー吉松間(35.0キロ)開通
  矢岳隧道の竣工により鹿児島本線(人吉線を鹿児島本線と改称)門司〜鹿児島間(肥薩線回り)全通肥薩海岸線開通。
昭和2年10月17日 水俣において開通式挙行
肥薩海岸線門司港〜八代〜鹿児島間を「鹿児島本線」とし、従来の鹿児島本線、門司港 〜八代〜吉松〜鹿児島のうち、八代以南を肥薩線と改称
昭和34年4月1日 準急「くまがわ」門司港〜人吉間運転開始
昭和34年5月1日 準急「えびの」熊本〜宮崎間運転開始
昭和40年11月1日 準急「やたけ」運転開始
昭和41年3月5日 準急「くまがわ」急行に格上げ
昭和47年3月15日 人吉〜吉松間DD51による運転開始
昭和47年4月4日 人吉〜吉松間D51重連によるさよなら列車運転
昭和48年3月28日 人吉〜八代間DD51型5両による営業運転開始(完全無煙化)
昭和49年4月25日 特急「おおよど」博多〜宮崎間開通
昭和62年4月1日 JR九州発足
平成8年3月16日 観光列車「いさぶろう・しんぺい号」運転開始 (人吉〜吉松間)
平成11年6月6日 肥薩線(八代〜人吉間)開通90周年記念イベント実施
平成11年11月21日 肥薩線(人吉〜吉松間)開通90周年記念イベント実施
平成16年3月17日 観光列車 特急「はやとの風」(鹿児島中央〜吉松)運転開始
平成17年8月21日 SL人吉号さよなら運行
平成17年10月2日 観光列車 「九千坊号」(熊本〜人吉間)運転開始